下の写真は白嶽大権現 対馬大祭の様子です。
白嶽教総本部の様子です。
それ仏法(ぶっぽう)、遥(はる)かにあらず、心中(しんちゅう)にしてすなわち近(ちか)し。真如(しんにょ)、外(ほか)にあらず、身(み)を棄(す)てていずくにか求(もと)めん。
『般若心経秘鍵』(はんにゃしんぎょうひけん)
仏の教え、つまりさとりの世界は、はるか彼方にあるのではありません。われわれの心の中、すなわちまことに近いところにあるのです。真理は、われわれの外部にあるのではないのですから、自分の身体(しんたい)をさしおいて、それをどこに求めるというのですか。
この言葉は、弘法大師空海の最晩年の著者といわれる「般若心経秘鍵」冒頭部の一節です。仏の教えや真理は自分の心中にある。それなのにこの身体を捨ててどこに真理を求めるのか、ということです。
この身は無限の宇宙に通じている唯一の「ことば」なのですが、人工的な環境の中で生活し、自然の身体感覚を失っている現代人にとっては、無意味なものかもしれません。
『般若心経秘鍵』は『般若心経』について弘法大師空海が独自な理解を展開しています。『般若心経』は空の真理を述べている経典で、慈悲と救済を特色とする観音菩薩の深遠な智慧の完成が説かれていると一般には理解されています。ところが弘法大師空海は『般若心経』は、偉大な智慧を象徴する真言を説いているので、その「ことば」は大般若菩薩とはすべての仏の智慧を生み出す母なる仏(仏母)です。このことから弘法大師空海は、この経典、すなわち密教経典にほかならないとしているのです。