ら行

【ら行】→ラマ教~六時観音(ろくじかんのん)

ラマ教
チベット仏教の俗称であるが、様々な誤認を生んだため、この呼称は不適切として現在では殆ど使用されていない。インドから伝来した大乗仏教に密教を包含する総合仏教。主な宗派はニンマ派・サキャ派・カギュ派・ゲルク派(黄教)の四派。中でもゲルク派は最大勢力となっている。
利他(りた)
衆生に悟りの道を示し、功徳やご利益を施して救済する事。善行によって他者を救済する事。または、自分より他者の利益を優先する事。
理智不二(りちふに)
「理」と「智」は表裏一体であり、二つで一つという意味。
→金胎不二、両部不二
律蔵(りつぞう)
「経・律・論」の三蔵の一つ。仏教教団の戒律について定められた聖典。
律令(りつりょう)
律令国家の基本法典で、「律」は刑罰、「令」は行政法・訴訟法などに相当する。日本でも隋・唐に倣って制定された大宝律令・養老律令・飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりつりょう)などがある。
略衣(りゃくえ)
儀式用の正装ではなく、普段着用する衣の事。
龍頭観音(りゅうずかんのん)
水神である龍を従え、洪水を起こすことなく恵みの雨をもたらし、五穀豊穣を授けるとされる三十三観音の一人。龍上観音に同じ。龍頭(上)観音は、その名の通り龍神に乗り、一切衆生を無量の慈悲で救済へと導く観音菩薩であり、開運厄除の龍神と祈願成就の観音菩薩が一体となった姿には大きな霊徳が宿ると言われている。白嶽教の本尊は龍頭観音。
→三十三観音
楞厳経(りょうごんきょう)
大乗仏教の代表的経典の一つで、「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」の略称。「楞厳」とは堅固な三昧という意味。勢至菩薩(せいしぼさつ)の円通無礙(えんづうむげ)の理を説き明かす。「円通無礙」とは円かな悟りに達して何者にも妨げられない事を意味する。
→首楞厳三昧経
臨済禅(りんざいぜん)
日本の禅宗は曹洞禅(そうとうぜん)と臨済禅に大別される。曹洞禅が形式的な坐禅の相を重んじるのに対し、臨済禅は公案問答などを用いた厳格で激しい修行を行った。
両部曼荼羅(りょうぶまんだら)
胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅。空海が伝えた。両界曼荼羅、理智不二(りちふに)とも称され、胎蔵界曼荼羅が「理」、金剛界曼荼羅が「智」を司るとされる。
臨済禅師(りんざいぜんじ)
臨済義玄・慧照禅師(りんざいぎげん・えしょうぜんじ)は、唐の禅僧で臨済宗の開祖。「喝」を多用する激しい禅風で「臨済将軍」の異名を持つほどであったが、その豪放さが多くの支持を集め、中国禅宗の頂点を極めた。
輪灯(りんとう)
仏前で灯を献上するために、天井から吊り下げる輪の形をした灯明器具。釣り灯台。
瑠璃観音(るりかんのん)
水上に浮かぶ蓮華に乗り、両手に瑠璃の香炉を持つ姿で表される三十三観音の一人。瑠璃には魔除けの力が宿っているとされ、衆生をあらゆる苦厄から救うとされる。香王観音とも呼ばれる。
→三十三観音
霊感(れいかん)
霊的なものを感じ取る心の働き。理論で説明出来ない「何か」を直感的に認知する心の状態。
神や仏と交信したり憑依させたりして示す超自然的な精神の働き。
→インスピレーション
霊験(れいけん・れいげん)
神仏が人間の祈祷に応じてその能力を発揮し、様々な奇跡的現象となって現れる事。またはその御利益。
霊魂観(れいこんかん)
霊魂に対する考え方。「空」の境地に至ると現世と来世の区別がなくなり、万物一体となり霊魂観は消滅する。
→死生観
霊所(れいしょ)

→霊場

神仏の霊験あらたかな場所の事で、弘法大師のように法力を持った祖師が霊験を現した場所でもある。
蓮臥観音(れんがかんのん)
水上の清浄なる蓮華に、まるで舟に乗るかのような姿で表される観音菩薩。海上の旅を見守り、水難や海上の事故から救うとされる三十三観音の一人。
→三十三観音
蓮華王(れんげおう)
観音の王という意味を持つ千手観音の別称。千の手を持ち、それぞれに目がある(千手千眼・せんじゅせんげん)とされる。正式名称は「千手千眼観自在菩薩」(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)。千の手は、この世の全ての衆生を救う観音の慈悲の心と力の広大さを表す。聖観音(しょうかんのん)の變化した姿とも言われ、眷属として二十八部衆を従える。
→千手観音(せんじゅかんのん)
老荘(ろうそう)
老荘思想。中国で生まれた思想で、老子と荘子を合わせて老荘と呼ぶ。道家の中心思想でもある。
臘八会(ろうはつえ)
釈尊の成道の日を記念して行なわれる法会。陰暦の12月8日に行なわれる。成道会(じょうどうえ)に同じ。
臘八摂心(ろうはつせっしん)
臘八接心とも書く。釈尊がブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた日を記念して、陰暦12月1日~8日の朝まで昼夜を通して行なわれる座禅。禅宗に於いて重要な催事の一つとなっている。
六時観音(ろくじかんのん)
三十三観音の一人。「六時」とは1日中を表し、その大いなる慈悲をもって常に衆生を守護し、加持護念のご利益を与えるとされる。
→三十三観音