あ行

【あ行】→阿育王(あいくおう)~陰陽師(おんみょうじ)

阿育王(あいくおう)
阿育王はアショカ王の漢訳音写である。アショカ王はマウリヤ朝の第三代国王であり、インド亜大陸をほぼ統一した。釈迦入滅後100年後に現れたという伝説もあり、仏教を守護した大王として名高い。在位期間は紀元前268年頃~紀元前232年頃までとみられる。釈迦の生誕地ルンビニーで発見された石柱はアショカ王が建立したもので、それに刻まれた碑文により、釈迦が架空の存在ではなく実在の人物である事が証明された。
相殿(あいどの)
ほとんどの神社では複数の神を祀っており、その中で主として祀られる「主祭神」(しゅさいじん)以外の祭神を「相殿神」(あいどのしん)または「配神」、「配祀神」(はいししん)と言う。
愛別離苦(あいべつりく)
出会った者でも、愛する者でも、いつかは必ず別れの時が来る。その別れに伴う苦悩の事。仏法の八苦の一つ。
悪人正機(あくにんしょうき)
浄土真宗の中心的な教義。阿弥陀仏の本願は「悪人」を救う事であり、煩悩にとらわれた凡夫(悪人)こそが本来仏の救済対象であるとする説。
「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」(歎異抄より)善人は自己の自浄能力によって悟りを開こうとし、悪人であると自覚する者ほど仏の救済を求めるとしている。
阿含経(あごんきょう)
原始仏教の経典で、教説の集成という意味を持つ。長阿含経・中阿含経・雑阿含経・増一阿含経の四部から成る。
足利尊氏(あしかがたかうじ)
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 – 1358年)。足利将軍家の祖。足利貞氏の次男として生まれる。足利氏の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏(たかうじ)と名乗っていた。元弘3年(1333年)に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が伯耆船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への叛乱を宣言、六波羅探題(ろくはらたんだい)を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、名を尊氏(たかうじ、読みに変化なし)に改める。「五七の桐」は、尊氏が後醍醐天皇より賜ったもので、本来は天皇家の副紋であった。
阿字の観想(あじのかんそう)
阿字観の事。密教の修行法の一つで、「大日経」において万物の根源である阿字を心に思い浮かべる瞑想法。空海によって伝えられた。
阿闍梨(あじゃり)
サンスクリット語(ācārya・アーチャリーチャ)の音写。戒律を守り、弟子たちに行動規範を示し、法を伝授する徳の高い僧侶や師の事。一般には指導者・師範を指す。
→阿舎梨・阿闍梨耶
葦原中国(あしはらのなかつくに)
日本神話で、高天原(たかまがはら)と黄泉国(よみのくに)の間にある世界で、国津神(くにつかみ)と人間が住む世界のこと。日本の国土を指す。「豊葦原中国」(とよあしはらのなかつくに)とも呼ばれる。
阿修羅(あしゅら)
八部衆に属する守護神で、一般的には三面六臂の姿で表される。釈迦如来や千手観音の眷属として本尊の脇に立つ。
古代ペルシア・ゾロアスター教における最高神「アフラ・マズダー」に対応する神格であったが、インドに伝来してのち、アスラ(非天→天にあらざる者)という意味を持つ悪神となったとされる。インドでも当初はインドラ(帝釈天)と並ぶ最高神としての位置づけであったが、度重なる帝釈天との戦いに敗れ、天界から修羅道へと追放された(インド神話)。
梓巫女(あずさみこ)
特定の神社に所属せず、全国各地を渡り歩き託宣や呪術を行った巫女。梓弓(あずさゆみ)を鳴らしながら神降しの呪文を唱えて口寄せや神語りなどを行なっていたとされる。
→渡巫女、歩き巫女
アニミズム
語源はラテン語のアニマ(気息・霊魂)に由来する。あらゆるモノや現象に精霊・霊魂が宿るとする信仰。これらの霊的存在には妖精や妖怪・死霊・生霊といったものも含まれる。

阿耨(あのく)
この上もなく優れていること。
→阿耨観音
阿耨観音(あのくかんのん)
岩の上に座し、海面を見つめる姿で表される三十三観音の一人。水神として崇められ、祈れば干ばつや海難から守ってくれると言われる。
→三十三観音
阿毘達磨(あびだつま・あびだるま)
主に小乗仏教の論蔵で対法と訳される。釈迦入滅後、100年ほど後のアショカ王の時代、教説(法)はいくつかの学説に発展し教団も分裂した。
教説をあらゆる角度から論理的に分析し、対機説法として用いた。
阿摩堤観音(あまだいかんのん)
白い獅子を従え、吉祥の鳥と魚を持つ三十三観音の一人。過ちや罪を犯した者にも大きな安らぎを与え衆生を救うとされる。
→三十三観音
尼(あま)
成人女性で未婚、または結婚歴があっても沙弥尼(しゃみに=剃髪して十戒を受けた未熟な尼僧)の期間を経て出家した女性を指す。比丘尼(びくに)とも呼ばれる。
甘茶(あまちゃ)
ユキノシタ科、ガクアジサイの変種であるアマチャの若い葉を蒸して揉み、乾燥させたものを煎じて作ったお茶。釈迦の誕生日を祝う灌仏会(かんぶつえ)の際、花御堂(はなみどう)に置かれた仏像に甘茶を柄杓(ひしゃく)で掬ってかける慣わしがある。
天津神(あまつかみ)
天神とも呼ばれる。日本書紀などによると、高天原(たかまがはら)に住む神々、またはそこから降臨した神々を指す。伊邪那岐神(いざなきのかみ)を祖とし、天照大神(あまてらすおおみかみ)を頂点とした神々の系譜。これは日本を統一した大和朝廷が天照大神を氏神としたため。それまで地方豪族や民衆によって信仰されていた大山祇神(おおやまつみのかみ)を祖とする葦原中国(あしはらのなかつくに)に住む神々は天津神より格の低い国津神(くにつかみ)と呼ばれるようになった。
→国津神
海部氏系図(あまべしけいず)
龍神社(京都府宮津市)の社家(しゃけ)を務めてきた海部氏に代々伝わる古系図で、古代の氏族制度や祭祀制度を研究する上での貴重な文献資料として、昭和50年(1975)6月に重要文化財、翌年の6月に国宝の指定を受けている。
阿弥陀仏(あみだぶつ)
大乗仏教の仏の一つで、西方極楽浄土に住むと言われる。阿弥陀如来(アミターバ)。
「無限の寿命を持つ者」という意味で無量寿仏・無量光仏とも呼ばれる。日本では浄土真宗・浄土宗などの本尊である。
阿羅漢果(あらはんか・あらかんか)

阿羅漢の境地に達した者。悟りの最高到達点。釈迦の後続で、あらゆる煩悩から解き放たれた聖者、修行者。凡夫のように欲界をさ迷うことなく涅槃に入る事が出来ると言われる。

阿頼耶識(あらやしき)
大乗仏教の用語で、心の深層意識を表す大乗仏教の根本思想である。「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識」の八識の第八。万有の根源となる心の識で、一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「種子識」、万有を保持して失わないことから「無没識」、万有を内蔵することから「蔵識」とも呼ばれる。
阿波の青石(あわのあおいし)
四国産地の剣山系に多く産出される緑泥片岩の別称。緑泥片岩は含水珪酸塩鉱物(アルミニウム・鉄・マグネシウム)を主成分とする緑泥石が地殻変動に由る動力変性を受け出来上がったもの。地殻変動の活発な全国地域で産出されるが、四国(中でも徳島県)は突出した青石の産地となっている。阿波(徳島)では昔から碑・天井石・石棺などに加工した青石が使用されていた。
行脚(あんぎゃ)
僧侶が雲水となって、修行のために明師を訪ねて諸国を徒歩で巡る事。
安居(あんご)
個々に修行していた僧たちが1箇所に集まって修行すること。本来は小動物に対する無用な殺生を避けるため、雨季の期間に外での修行を止め、寺院の中で坐禅修学すること。「雨安居」(うあんご)、「夏安居」(げあんご)とも言い、安居の開始を「結夏」(けつげ)と言い、終わりを「解夏」(げげ)と言う。解夏の日は様々な供養があるため僧侶も満腹になるまで食べる。仏教が伝来した国では雨季に関係なく行われるようになった。禅宗では夏だけでなく冬にも安居を行う(冬安居)。
安心(あんじん)
仏教の教えによって迷いから解放され、心の平安を得ること。各宗派の定める教義や実践法によって意味内容が異なる。浄土宗系では阿弥陀仏の救いを信じて疑わず、極楽浄土への往生を願う心を表す。
安楽境(あんらくきょう)
安楽な境地。仏道の目的である「大安心」の境地に達すると、迷いや恐れが消え、安楽の境地で生きる事が出来る。楽土。
威儀(いぎ)
法則にかなった作法・振る舞い。重々しく厳しい動作。威厳を示す立ち居振る舞い。
→威儀を正す。
石敢當(いしがんとう、せっかんとう)
「石敢當」などの文字が刻印された石碑・石版の事で、中国から伝来した魔除けの風習。日本では鹿児島県と沖縄県に多く分布し、その他の地方にもあるにはあるが、確認されているのはごく少数である。鹿児島では「せっかんとう」、沖縄では「いしがんとう」「いしがんどう」と呼ばれている。
意識(いしき)
六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)の第六識。五識は五根(眼耳鼻舌身の五感)によってそれぞれを認識するが、意識は対象を総括して捉える精神の働き、心の働きのこと。
以心伝心(いしんでんしん)
禅宗で、言葉で表せない仏法の真髄を、師から弟子の心に伝える事を意味します。黙っていても考えが互いに伝わる事。
イタコ
東北地方などで口寄せ(祖霊・死者・行方不明者などの霊をその身に宿らせて言葉を語らせること)による託宣を行う信仰風俗上の巫女(みこ)。
一円相(いちえんそう)
始まりと終わりをつなぐ循環、その円形。円を無我無心の境地で一筆で描く。禅の書画の一つ。「法」と「智慧」を表す。
無我寂静無形である宇宙の理を欠ける事なく、余すところなく表すために円相を用いる。
一期一会(いちごいちえ)
生涯に一度限りの機会であること。語源は茶会の心得「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすこと」から来ている。今日のめぐり合わせも生涯に一度きりのものと考えて大切にするという意味である。
一乗(いちじょう)
一つの乗り物という意。大乗仏教における唯一究極の理であり、仏の真実の教えは唯一で、一切の衆生は平等に仏となりうると説く。衆生を乗せて覚りの彼岸へと導く乗り物に例えたものである。
一如観音(いちにょかんのん)
宇宙の真理は唯一(一如)であることを現した観音菩薩で三十三観音の一人。あらゆる対立を超越したこの一如から現世を救済する力が観音力だとされる。
→三十三観音
一念三千(いちねんさんぜん)
天台宗の観法で、日常の人の心の動きには全宇宙の一切の事象が備わっているという意味。
一葉観音(いちようかんのん)
水上で美しく花開いた蓮弁に横たわる観音菩薩で三十三観音の一人。蓮華は慈悲の心を表す仏性の象徴であり、波浪風雨の渦巻く現世に様々な救済と功徳があると云われている。
→三十三観音
一蓮托生(いちれんたくしょう)
本来の意味は、死後、極楽において同じ蓮華の上に転生すること。一般的には、どのような結果がもたらされようと、最後まで行動や運命を共にすること。
一向宗(いっこうしゅう)
鎌倉時代、浄土宗の僧侶「一向俊聖」が興した宗派。一向(ひたすら)に阿彌陀佛を信仰する事から一般的には浄土真宗を指す。
→一向一揆。
一箇半箇(いっこはんこ)
禅宗用語。一人でも半人でも。極めて少数のこと。
一人でもごく少数でも弟子を得て仏の真実の教えを授け、絶やさぬようにせよという意味。
一切皆苦(いっさいかいく)
この世の全ては「苦」であると説く。万物は無常であって生滅变化を免れないため、人はどのように生きようとも「苦」から逃れることは出来ないという教え。
一切衆生(いっさいしゅじょう)
この世に生きとし生けるもの全て。特に人間をあらわす。
一水四見(いっすいしけん)
唯識におけるものの見方。認識する主体が変われば認識される対象も変化する。同じ水でも見る者によって四通りの見え方があり、それぞれが異なる解釈を持つという意味である。ある者にとっては薬であっても、別の者にとっては毒となりえる事もあるという例え。下記は一水四見を歌で表したもの。
「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る女中茶を持つ猿沢の池」(興福寺の和歌)より
一刹那(いっせつな)
きわめて短い時間、瞬間のこと。一瞬。
一即一切(いっそくいっさい)
大乗仏教の経典「華厳経」の教義。「一即一切・一切即一」(一即ち全、全即ち一)。一つのものはそのまま全てであり、全てのものはそのまま一つであるという考え。「空」の原理。
あらゆるものが無縁の関係性によりひとつに繋がり宇宙全体を構成している。
→法界縁起
威徳観音(いとくかんのん)
岩上に静かに座した姿で表され、優れた威厳と徳でこの世の一切の障害を砕き、世界を平和に導くとされる三十三観音の一人。
→三十三観音
入澤達吉(いりさわたつきち)
入沢 達吉(いりさわ たつきち、1865年1月31日(元治2年1月5日) – 1938年(昭和13年)11月8日)は明治〜昭和期の医学博士、内科医。東京帝国大学教授、東京帝国大学附属医院長・同大学医学部長・宮内省侍医頭等を歴任、日本の内科学確立に貢献する。(出典:wikipedia)
岩戸観音(いわとかんのん)
毒蛇の棲む岩屋や洞窟で瞑想する姿で表される三十三観音の一人。衆生にあらゆる困難を乗り越える意志力を与えるとされる。
→三十三観音
因果応報(いんがおうほう)
前世または過去の善悪の行為が因となり、それに相応する報いとして現在や来世に善悪の結果がもたらされること。善因善果・悪因悪果。
院家(いんげ)
寺院を構成する塔頭のこと。
出身身分に由来する僧侶の身分。門跡に次ぐ。

寺院塔頭としての院家
単に「院」とも呼ばれる。大寺院の内部においてその一郭を占めて、寺院本体とは別に独自の所領・組織を保有した別院を構成する塔頭及びそこに止住する僧侶集団を指す。本来、寺院の僧侶は三面僧房で共同生活を送ることが原則とされていたが、僧侶の中には修行に専念するために独自の僧房を設置して独立空間を構える者もいた。これが院家のルーツである。特に複数の宗派が混在する寺院が多かった平安時代においては、同じ宗派を信奉する僧侶が1つの院家において集団生活を行い、修行・研究の場とするケースも多かった。
なお、後世では門跡寺院において、下記僧侶身分の院家が止住する塔頭のことも指した。

僧侶身分としての院家
皇族及び貴族身分出身の僧侶。後に同身分が居住する塔頭のことも指した。
元は昌泰2年(899年)の宇多上皇出家の際に、上皇とともに仁和寺の院家の1つであった「御室」に付き従って出家した皇族・貴族達を指した。当初は「門跡」と混同して用いられていたが、後には門跡に次いでこれを補佐する身分とされて門跡に就任するための要件とも考えられるようになった。このため、院家は平民出身の凡僧とは格別した身分的特権が与えられるようになるとともに、その実家の財政力を背景に既存の院家を獲得あるいは新規に創設することが盛んに行われるようになった。
門跡寺院に付属する院家の代表的なものとしては延暦寺の青蓮院、興福寺の一乗院・大乗院、醍醐寺の三宝院、南禅寺の金地院、相国寺の鹿苑院などが挙げられる。こうした院家からは凡僧は排除されて皇族・貴族身分の学侶だけが止住を許されていた。
また、新たに門跡寺院に加えられた寺院が自己の別院・末寺を院家として設定することも行われており、永禄3年(1560年)には前年の本願寺の門跡寺院指定に伴って摂津富田の教行寺や伊勢長島の願証寺などの9ヶ所の末寺が尊助法親王によって院家として定められている。
(出典:Wikipedia)

淫祀邪教(いんしじゃきょう)
国家によって反体制的もしくはいかがわしいとみなされた民間信仰や宗教。
因縁(いんねん)
物事の結果が生じる直説の源である「因」と、それを補助する「縁」。この世のあらゆるものは無数の因縁で生ずると説く。因縁によって物事が生起することを「縁起」と言い、それによりもたらされる結果を「因果」と言う。
有為転変(ういてんぺん)
この世のすべてのものは絶えず変化して、同じ状態に留まることがない。一切の事象は因縁によって生じ、仮に存在しているものであるから、常に移り変わる儚いものであるという意味。
ウェーサク祭
毎年5月の満月の日に世界規模で行なわれる祝典。1999年2月13日、第54回国連総会議事項目174で、国連はウェーサクの日を国際的な日と認め、国連本部とその他の国連地域事務所において祝う事を決めた。仏陀の誕生日、成道の日、入滅の日が全てインド歴第二月の第一満月の夜(陰暦5月)だったと言われ、これらが全て祝典の対象となっている。世界中の仏教徒が人種、国境、宗派を超えて一つに集う日とされる。
→ウェーサーカ祭、国連ウェーサクの日
ヴェーダ経典
バラモン教の聖典で、インドで編纂された最古の宗教文献の総称。「ヴェーダ」とは本来知識を意味する言葉で、インドの文学・哲学・宗教の源流となった。ユネスコ無形文化遺産に登録(2009年)されている。
→サンヒター・ブラーフマナ・アーラニヤカ・ウパニシャッド
浮世(うきよ)
儚い現世(うつしよ)。憂世とも書き、仏教的厭世観を表す。憂いと苦悩に満ちた世の中、定めのない儚い世の中。
氏神(うじがみ)
同じ集落や地域の人々が共同で祀る神。氏の祖先として祀られ、鎮守の神と同義で使用される事もある。
→氏社、氏子
有象無象(うぞうむぞう)
「有相無相」に同じ。形を持つものと持たないもの、すべてのもの。現象と真理。転じて、「大勢の取るに足らないつまらない連中」として侮蔑する意味でも使用される。
裏参道(うらさんどう)
社寺の参道のうち、裏側に位置するもの。一般に裏参道という呼び方はしない場合が殆どだが、北海道神宮には裏参道と呼ばれる一帯がある。
雲水(うんすい)
「行雲流水」に由来し、行く雲、流れる水の如く行先の定まらない事。諸方の禅師を訪ねて遍歴し、求道する修行僧を指す。その出で立ちは簡素で、網代笠(あじろがさ)を目深に被り、直綴(じきとつ・雲水の衣)を纏い、腰に手巾、肩に絡子(らくす)をかけ、白木綿の手甲脚絆(てっこうきゃはん)をつけ、わらじを履く。
→雲衲(うんのう)、行脚
回向返照(えこうへんしょう)
外や他人に向きがちな心をまず自分自身の内面に向け、照らし、返す事。自分自身の内なる知恵の光で自己の仏性を照らし、常に自身と向き合い感謝と純粋な気持ちを忘れず過ごしましょう。
円光観音(えんこうかんのん)
三十三観音の一人で、円光とは後光のように解き放たれる慈悲の光明を指す。光明の中に現れ煩悩を焼きつくし生命を脅かす苦難から衆生を救うと云われる観音菩薩。
→三十三観音
役小角(えんのおずぬ)
7世紀末(飛鳥時代~奈良時代)にかけて、大和国の葛城山を中心に活動した呪術師。後に修験道の開祖として役行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれるようになった。優れた神通力の持ち主であったとされるが、その能力を妬んだ人物(弟子の韓國連広足(からくにのむらじひろたり)とする説もある)によって世人を惑わす妖術使いとして朝廷に讒言され、伊豆へ流罪となった。
延命観音(えんめいかんのん)
三十三観音の一人。呪詛・毒薬の害をのぞき延命の功徳があるとされる。災厄から衆生を救う20の方法を象徴し、その数と同じ20の腕を持つ。
→三十三観音
笈(おい)
修験者(しゅげんじゃ)や遊行者(ゆぎょうしゃ)が背負って歩く、仏具・経文(きょうもん)・衣類等を収めた箱のこと。
奥義(おうぎ)
学芸・武術などの最も奥深い大切な事柄。
→極意・真髄・おくぎ(~を極める)
黄帽(おうぼう)
ラマ教(チベット仏教)の新教派。
黄教の別称で、僧帽を裏返しに被り黄色を表に出したため、黄帽派と呼ばれる。厳格な戒律を実践する教派。
→黄教(こうきょう)・黄帽派(こうぼうは)
オガタマノキ
モクレン科(オオヤマレンゲ、コブシ、ホオノキ等)唯一の常緑高木で、上品な芳香を放つ白い花を咲かせるのが特長。別名ダイシコウ(大師香)、トキワコブシとも呼ばれ、本州南部から四国、九州、沖縄、台湾の照葉樹林帯に分布している。古くから榊(サカキ)として尊ばれ、和名のオガタマは、「招魂(おきたま)」から転じてオガタマとなったといわれている。玉串として用いられるなど神社には欠かせないものとされてきた。
淤加美神(おかみのかみ)
日本神話に登場する女神で別名を龗神(おかみのかみ)とも呼ぶ。龗(おかみ)」は「龍」の古語であり、古来より龍は水や雨を司る神として民間信仰の対象となっている。弥都波能売神(みづはのめのかみ)とともに、日本における代表的な水の神である。
拝み屋(おがみや)
祈祷師(きとうし)の事。原始宗教やシャーマニズムなどに基づき、吉凶占いや五穀豊穣、退魔や除霊まで様々な祈祷を行う。その起源は古く、人類が基本的社会構造を持った集落を構成した時から発生したと言われている。
諡(おくりな、し)
主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと。
表参道(おもてさんどう)
寺社の参道のうち、表に位置するもの。裏参道に対して用いる。特に明治神宮の参道として作られた通りを指す。
音木(おんぎ)
寺院などで集団でお勤めを行う際に、一緒にお経を唱えやすいように拍子を取るための木の音具(拍子木)、戒尺。2本一組でそれぞれの手に持って打ち合わせて使う。
→戒尺(かいしゃく)
恩師(おんし)
教えを受けた学恩のある師、教師、先生。
陰陽師(おんみょうじ・おんみょうし)
律令制下において、中務省の陰陽寮に属した官職の一つ。陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)相地等をなした技官。陰陽道に基づく特殊な法術であらゆる吉凶災福を予見し、それらに対する処方的呪術を行う宗教家のこと。→安倍晴明(あべのせいめい)