さ行

【さ行】→柴燈護摩(さいとうごま)~祖師(そし)

柴燈護摩(さいとうごま)
修験道独自の護摩儀礼。屋外に護摩木を高く積み上げ、読経しながら点火する。護摩壇の火が修験者の煩悩を焼きつくすとともに、国家安寧、五穀豊穣、無病息災などを祈願する。般若寺では年中行事として都度執り行われている。
済世利人(さいせいりにん)
世の中を救うこと。世人を救い助けること。
座具(ざぐ)
坐る時に敷くもの。座布団・ゴザなど。礼拝の時に用いられる。
座主(ざす)
大寺の管主の呼称。寺を統括する最高位の僧。
猿沢池(さるさわのいけ)
興福寺の放生池として、天平21年(749年)に造成された人工池。現在は猿沢遊園地として、市民の憩いの場となっている。
猿沢池のほとりの興福寺は、唯識を研究する法相宗の本山。興福寺ではこの猿沢池で放生会(ほうじょうえ)を行う。放生会とは、仏教の戒律の一つである「殺生戒」を元にした宗教儀式で、捕獲した鳥獣や魚を野に放ち、殺生を戒める目的を持っている。
「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る女中茶を持つ猿沢の池」(興福寺の和歌)より
山岳信仰(さんがくしんこう)
山岳に宗教的意味を与え、高山に神が降りると考えた。山岳をご神体として種々の儀礼を行い崇拝する。元々、山頂山麓は斎場、社寺、祠などが作られ修行者の巡礼地でもあった。
散華(さんげ)
天人(あめびと)が仏を賛嘆するために、地に花を散らしながら仏の回りを巡り供養したという故事にちなんで、寺院などで法要の際に花やシキミの葉をまき散らす慣わし。花の芳香で悪鬼を退散させ、道場を浄化するという意味を持つ。現在の法会においては、主に蓮華をかたどった色紙を華籠(けこ)に入れて散布する。花を散らすという意味から転じて、夭逝(特に戦死や殉職)した者に対して用いられる賛美の言葉ともなった。
三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)
三国名勝図会は江戸時代後期に薩摩藩で編纂された薩摩国・大隅国・日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書。第10代藩主・島津斉興(しまづなりおき)が領内の地誌編纂を指示し、天保14年(1843年)にまとめられた。様々な地誌の中でも、とりわけ寺院や神社については挿絵付きで詳細に記述されている。般若寺については、40~41巻の「桑原郡」(くわばらのこおり)に記載されている。
サンスクリット語
梵語。古代から中世にかけてインド亜大陸や東南アジアで用いられていた言語。ヴェーダ語と古代サンスクリット語があり、南方仏教語のパーリ語も同系とされる。ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語。
三十三観音(さんじゅうさんかんのん)
衆生を救済するために、相手の境遇に相応しい姿に变化して現れると言われる三十三身の観音菩薩のこと。
三世諸仏(さんぜしょぶつ)
過去・現在・未来と三世に渡って現れる諸仏。
参禅(さんぜん)
坐禅を組んで修行する事。禅の道に入って修行する事。
三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)
仏教における世界観。須弥山(しゅみせん)を中心とし、地獄界や兜率天、梵天界等を含む、1個の太陽と1個の月を従えた空間を一世界と呼ぶ。このような小世界が集まり中世界となり、中世界が集まり大世界を形成しているという宇宙の理(ことわり)を表している。三千という数字自体に意味は無く数合わせとして用いられているに過ぎない。
→三千世界
参道(さんどう)
神社や寺院に参詣するための道。本来は鳥居や山門など結界内の通路を指すが、現在では街道など人通りの多いところから社寺に至る全ての道を指すことが多い。
山道(さんどう・せんどう)
山の中にある道。神社への参詣者が通った古道を指す場合もある。大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)へ通じる大山道(おおやまどう)など。
三宝荒神(さんぽうこうじん)
仏・法・僧を守護するという神。俗に、不浄を嫌うことから火の神にあて、かまどの神として祀る。また、日本では荒魂・和魂の2種の概念があり、前者は害悪をなす悪神であったので、祀るものは本来なかったが、仏教の伝来とともにインドに行われた夜叉・羅刹などの悪神を祀り、これを以って守護神とする風習が伝わったことから、古来からいう荒魂を祀って荒神とされたともいわれる。
三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら)
四種曼荼羅の一つ。尊像ではなく、仏や菩薩の持ち物=「宝剣・宝珠・蓮華・金剛杵」などの宝具で描かれる曼荼羅。「平等・除障・本誓・驚覚」を意味する。
「平等」(びょうどう)→本来、仏と衆生は平等であるということ
「除障」(じょしょう)→悟りの障害となる衆生の煩悩を取り除く
「本誓」(ほんぜい) →一切衆生を救おうとする仏の誓願
「驚覚」(きょうがく)→驚きを与え衆生の菩提心を呼び起こす
三密(さんみつ)
密教における身・口・意の三業。衆生の理解の及ばないものとされるため三密と呼ぶ。密教の三密と衆生の三業は同一のものであるとする考えを「無相の三密」、手に印を結ぶ身密、口に真言を唱える口密、心に本尊を観念する意密を「有相の三密」と呼ぶ。
山門(さんもん)
仏教寺院の正門。三門の異称。俗世間から隔絶された仏の世界との境界を表し、神社における鳥居と共通性がある。本来山に建立され山号で呼ばれた事から寺院そのものを指す場合もある。また、比叡山延暦寺の別称でもある。
諡(し、おくりな)
主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと。
シーク教
ナーナク(1469〜1539)を開祖とする、ヒンドゥー教から派生した宗教の一つであり、現在でもインドでは信徒の多い有力な宗教である。インド北西部・パンジャーブ地方で、ヒンドゥー教とイスラム教を批判的に習合して興った。シク(sikkh)とは「弟子」を意味し、グル(師)の忠実な弟子であると考えられている。唯一永遠なる神への信仰を説き、偶像崇拝や階級差別を排除した。
色即是空(しきそくぜくう)
般若心経にある四字熟語で、「空」の概念を説いた言葉。この世にある一切の物質的なものは空であるという教え。
→空即是色
持経観音(じきょうかんのん)
岩上に座し、右手に経巻を持つ観音菩薩で三十三観音の一人。この経巻には釈尊の説法が収められている。持経観音が現れると、衆生は自ずと釈迦の直弟子になると云われる。
→三十三観音
師家(しけ)
指導者として学徳や資格を有する禅僧。特に坐禅・雲水の指導をする僧の事。
四種曼荼羅(ししゅまんだら)
形像曼荼羅(ぎょうぞうまんだら)の四種で、「大曼荼羅」「三昧耶曼荼羅」「法曼荼羅」「羯磨曼荼羅」のこと。真言宗では「大・三・法・羯」と略称する。
悉地(しっち・しっじ)
宗教で修行によって完成された悟り、境地のこと
私度僧(しどそう)
官の許可を得ず、私的に得度した出家者の事。律令時代には国家による一定の手続きを要する許可制が採られていた。
→官度僧
自坊(じぼう)
自分のお寺。住職の住む僧坊。末寺から本寺を呼ぶ時の呼称。
島津斉興(しまづなりおき・1791年~1859年)
島津家第27代当主および薩摩藩第10代藩主。財政改革を中心とした藩政改革に取り組み、薩摩藩の財政を立て直し経済発展に寄与した。名君で名高い第11代藩主・斉彬(なりあきら)は彼の嫡男であるが、斉興は五男の久光を溺愛し家督を継がせようとした。しかし藩内では斉彬を後継者に薦める声も高く、嘉永2年にお家騒動が勃発した。その後藩内は斉彬派と久光派の対立が続いたが、嘉永4年2月、老中・阿部正弘の調停により斉興は隠居し、斉彬が当主となった。
注連縄(しめなわ)
神道における神祭具で、鳥居と同じように神域との境界を示しているが、鳥居と違い、神域にみだりに近づいてはならないという警告が含まれている。邪悪な気を退け、神域を清浄に保つため結界としての役割を果たしている。神域一帯に張られ、紙垂(かみしで)を付ける事で神聖な意味を持ったとされる。注連縄には多くの種類と形状があり、神社によって紙垂や縄の張り方も異なっている。代表的なものとして、前垂注連(まえだれじめ)・牛蒡注連(ごぼうじめ)・大根注連(だいこんじめ)などがある。
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ・シャーキャ・ムニ)
仏教の開祖・釈迦の尊称。本名はゴータマ・シッダールタ。姓のゴータマは「最も優れた牛」、名のシッダールタは「目的を成就する者」という意味を持つ。カピラバストゥ城主・浄飯王(スッドーダナ王)の子として誕生。この時、釈迦は四方に7歩ずつ歩き、右手で天を、左手で地を指差し、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と唱えたと言われている。「この世界、天においても地においても我は唯一無二の存在である」という意味である。
王子として誕生した釈迦は16歳で結婚し一児をもうけるが、生老病死の四苦から脱するために29歳で出家、6年間の苦行を経て、35歳の時に菩提樹の下で覚りを得た。以後、各地で仏の真理を説き、彼のもとには数多くの弟子が集い、教団は一大勢力となった。彼は「一切の衆生を救済するため法を説く」という活動に生涯を捧げた。クシナガラにて80歳で入滅。
→釈尊・仏陀
灑水観音(しゃすいかんのん)
「灑水」とは、密教の儀式で使われる聖水「加持香水」のことを指す。この灑水を人々に注いで、煩悩や穢れを浄化し、疫病を鎮めるとされる観音菩薩で三十三観音の一人。
→三十三観音
シャーマニズム
シャーマン(祈祷師・巫・ムーダンなど)を通じて超自然的な存在(神・霊・精霊)を信仰する宗教現象。自身の肉体に神や霊魂を呼び寄せて直接接触・交信し託宣や治療などを行う「憑依型」(ひょういがた)と、シャーマンの魂が肉体から離れて天界や霊界で神や霊魂と交信する「脱魂型」(だっこんがた)の2種類がある。
シャーマン
シャーマニズムにおいて、超自然的・高次元の存在と交流・交信・接触する役割を担う役職。呪術者(じゅじゅつしゃ)・巫(かんなぎ)・祈祷師(きとうし)など。
ジャイナ教
紀元前5世紀頃確立されたインド仏教。徹底した苦行と戒律、禁欲主義をもって知られる。クシャトリヤ(王族)出身のマハーヴィーラ(本名・ヴァルダマーナ)を祖師とするも、出自よりも寄付などの品行によって徳が得られるとしたため、カースト制度の影響は薄い。しかし、殺生厳禁という戒律により、食肉関係者などは敬遠され、信者は自然に商業関係者主体となる富裕層が多かった。ジナ教(勝者教)とも呼ばれる。
邪教(じゃきょう)
一般的には世に害毒を流す不正な宗教の事を指す。社会制度や道徳に反する誤った教義を持つ宗教。
→カルト、邪宗
寂静(じゃくじょう)
煩悩を離れて苦しみから解脱したやすらぎの境地。涅槃。ひっそりと物静かなさま。
→涅槃寂静
折伏(しゃくぶく)
仏法の力で悪法や悪人を屈服させる事。日蓮系の宗派における布教姿勢の一つで、相手の主張や立場を容認せず、その誤りを徹底的に破折調伏して正法に導くという方法をとる。
→破折屈服、破折調伏
寂光土(じゃっこうど)
天台四土の一つ。生滅变化や煩悩がなく、智慧の輝く永遠の浄土であり、法身仏がいるとされる。
常寂光土、寂光浄土とも呼ばれる。
師友(しゆう)
先生と友人。師として敬えるほどの友人を指す。
宗我(しゅうが)
仏教で宗派の持つ我。仏教では、宇宙の実相は無我であると教えるが、宗我をむき出しにした宗派は他の宗派と対立する。
住持(じゅうじ)
日本では、寺の主僧として衆生を教化する僧の呼称。住職。本来は仏教の教えを堅持し広める事(またはそれを行う人)を意味する。
十八道(じゅうはちどう)
十八種類の契印(けいいん)と真言によって神仏を迎え、供養する宗教行法のこと。
衆宝観音(しゅうほうかんのん)
三十三観音の一人で、衆宝とは多くの宝という意味。積んだ徳を富貴に変え、宝物を得ようとして災難にあっても祈ることで救われるとされる観音菩薩。
→三十三観音
宗門学校(しゅうもんがっこう)
既成の仏教教団が各宗派の修学を中心として開設した高校・大学などの学校法人。信徒でない一般子女も受け入れているが、基本的には宗門の子弟育成が主目的である。
受戒(じゅかい)
仏弟子となるために受ける戒律の事。出家と在家では受戒の作法が異なる。納戎。
儒教(じゅきょう)
孔子の教説を中心とした儒家の実践的な倫理思想と教学の総称。儒学。仁を根本とした政治・道徳観を教義とする。
修験行者(しゅげんぎょうじゃ)
山野を歩いて巡る修験道の行者。半僧半俗の出で立ちに兜巾を被り、篠懸結袈裟を掛け、笈を負い、念珠や法螺を持ち、脛巾を着け、錫杖や金剛杖を突いて山野を巡り修行する。
→山伏
修験者(しゅげんじゃ)
修験道の行者。多くは剃髪(ていはつ・髪を剃る)せず、半僧半俗の姿で兜巾(ときん)を被り、篠懸(すずかけ)と結袈裟(ゆいげさ)をつけ、笈(おい)を背負い、金剛杖(こんごうじょう)を持ち、法螺(ほら)を鳴らして山野を巡り歩く。山伏(やまぶし)・験者(げんざ・げんじゃ)。
修験道(しゅげんどう)
日本古来の山岳信仰をベースに仏教や神祇信仰、陰陽道が習合して形成された宗教。修験道を主に担ったのは、霊験を得るため山岳で修行を行った山伏である。

日向山 九品院 般若寺の修験道(しゅげんどう)
古代から連綿と続く山の信仰を中心に、平安時代の初期、役小角(えんのおづの)(神変大菩薩)(634~701)の個人的な信仰や修行を唯一の基盤として、時代の流れの中で社会的な思想や、信仰形態を背景に自然発生的に組み立てられてきた宗教です。 
 家に在りながら、誰でもが修行に参加でき、一人の指導者(先達)(せんだつ)のもとで野生的な山岳修行を中心に、自分自身の中に秘められている無限の可能性の開発と、その実現を願いつつ修行するところに修験道の大きな魅力があります。
 そして創唱者をもたない修験道にとって山岳修行は、その中核をなすもので、そこで得た超自然的な力を現すために儀礼が生じ、その儀礼の意義づけ説明するために思想が生まれました。そして、儀礼・思想は密教の大きな影響を受けながら、次第に形成されたものです。
 「野に伏し、山に伏し、我、仏とともに在り」という強い自覚のもとに、山そのものに大日如来を感じ、峰中修行する修験修行者は「この身このまま仏の心をもつて」すべてに対応できる人間像を体得しようと、山ふところに広がる行場(ぎょうば)を次々とめぐりながら抖擻(とそう)する。
 祈りをこめることは、人間の基本的な心情であり自然の姿である。そこには、個人的な願いはもとより、集団としての願いまでさまざまである。
 修験道においても祈りは、最も尊重され、多くの儀礼が行なわれている。この祈りの本質は、密教で用いられる「加持祈祷」の四文字に集約されています。
弘法大師は、『大日経開題』にて、
 「加持とは、古くは仏所護念といい、また加被という。しかれども未だ委悉を得ず。加は往来渉入をもって名とし、持は摂して不散をもって義を立つ。即ち入我我入(にゅうががにゅう)是なり」と説いている。
祈りは、単に本尊にすがり、本尊を利用し手段とするのではなく、本尊に全身全霊をもって至心に帰依し、自身、清浄な心をもつことにより、本尊が行者の心の入り、行者もまた本尊の請願を拝する「入我我入」の世界に住して初めて可能になるものであります。
修験道が世俗的な生活を営みながら、密教の崇高な祈りを基盤とした信仰活動を続けてきたことは、社会生活の中で特異的な存在を強調することなく、静かに自・他の願いを一身に受けとめ、入峰修行を中心に歩み、祈りつづけるその姿は、自身の身体とともに心も歩み祈りつづけるのであります。「心もともに歩む」ところに修験道の真髄を見ることができます。

衆生済度(しゅじょうさいど)
生きとし生けるもの全てを迷いの中から悟りに導く。
須弥山(しゅみせん)
仏教の宇宙観において、世界の中央にそびえるとされる高山。サンスクリット語の「sumeru」の音訳で、妙高山と意訳される。風輪・水輪・金輪と重なった上部に大海があり、その中心にそびえ立つ。頂上には帝釈天、中腹には四天王や諸天が住むとされ、日天と月天が周囲を回転していると言われる。須弥山の周囲には七重の山々と七つの海があり、1番外側の海を鉄囲山(てっちせん)が囲む。この外海の四方には、勝身(しようしん)洲,贍部(せんぶ)洲(閻浮提(えんぶだい)),牛貨(ごけ)洲,俱盧(くる)洲の4つの大陸がある→四大州。チベット仏教においては「カイラス山」が須弥山であるとみなされる。
シュメール
メソポタミア南部、バビロニアの南半分を占める地域。またはそこに興った最古の都市文明。初期のメソポタミア文明とされ、チグリス・ユーフラテス川流域の間に栄えた。第二次大戦下の日本では、日本人がシュメール人の血を引く民族であり、天皇を指す「すめらみこと」は「シュメールのみこと」であるなどとした根拠のない俗説が流れた。
青頸観音(しょうきょうかんのん)
龍王の毒を飲んで頸が青く変色したとされる、ヒンドゥー神話のシヴァ神が起源とされる三十三観音の一人。衆生の厄難を祓い、慈母の恵みと反映を授けるとされる。
→三十三観音
性空上人(しょうくうしょうにん)
延喜10年(910年・生年不詳とも言われる)~ 寛弘4年3月10日(1007年3月31日)
橘善根の子で、平安時代中期の天台宗僧侶。日向山、霧島山、筑前背振山などの山岳に籠もり修行を積んだ。般若寺の開祖。後に書写山に移り住み、円教寺を開基した。
10世紀平安時代、村上天皇(在位・946年5月~967年7月)の頃、天台法華仏教を奉じ、修験道の信仰を確立した。霧島山信仰を体系づけた人物であり、高千穂峰頂上にある「天の逆鉾」(あめのさかほこ)もこの性空上人の流れを汲む修験者が置いたものではないかと言われている。
上供(じょうく)
当寺において、これから仏前にお供えするものを意味する。
→下供(げく)
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
五蘊とは、「色・受・想・行・識」の事。宇宙を構成する万物は全て空から生じると説く。万物の中でゆらぐ「人間」もみな空である。
照顧脚下(しょうこきゃっか)
「他人の言動を気にする前にまず自分自身の足元を見よ」という意味で、自己反省、日常生活において自分自身のおかれた立場を直視することを促す言葉です。「灯台下暗し」と言われるように、自分の足元は意外と見逃しがちです。人は多くの場合、他人の悪行はよく目につきますが、自分の悪行に対しては無頓着なものです。また、それこそが人でもあります。それを踏まえた上で自分自身の内面と向き合い、状況を把握し、省みることが大切になるのです。
荘厳(しょうごん)
仏像や仏堂を天蓋(てんがい)、幢幡(どうばん)、瓔珞(ようらく)などの仏具・法具で美しく厳かに飾る事。またはそのお飾り物。
上座(じょうざ)
修行を積み、徳を有し、教団を指導する長老。寺内の僧を統監し、寺務を司る役僧。禅宗では相手の僧を敬って用いる語。
一般的には最も上位の席を指す。
成道会(じょうどうえ)
釈迦が菩提樹の下で覚りを得て覚者(仏陀)となった事を記念して行われる法会。毎年12月8日に行われ、灌仏会(かんぶつえ)、涅槃会(ねはんえ)と共に仏教の三大法会と呼ばれる。禅宗の大寺では12月1日から8日朝まで、7日間不眠不休の座禅を行う。これを臘八会(ろうはつえ)とも呼ぶ。
浄土三部経(じょうどさんぶきょう)
浄土宗・浄土真宗において最も重要な三種の経典。無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を指す。浄土の三部。
聖人(しょうにん)
厳しい仏道の修行を積み、仏の真理を覚った偉大な行者、または高僧。また、高い徳と優れた教養を持つ人物も指す。
→聖者(しょうじゃ)・聖(ひじり)
正法(しょうぼう)
正しい法、即ち仏法の事。釈迦入滅後500年〜1000年の間は正しい教えと正しい修業によって悟りが得られるがその後は次第に衰退していくとされた。
正法の時。「正・像・末」の三時の一である。
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)
曹洞宗の開祖である道元が生涯をかけて執筆した和文の仏教思想書。
眼蔵の「眼」は真理を見抜き、「蔵」は真理を包蔵している。悟りの真髄を意味し、曹洞禅宗の真髄を説いている。
正法興隆(しょうほうこうりゅう)
釈迦如来の真実の教えを興起し広める。
称名(しょうみょう)
仏や菩薩の名を称えること。特に、阿弥陀仏の名号である「南無阿弥陀仏」を称えること。
除霊(じょれい)
この世に恨みを遺したまま彷徨っている霊、生き物や土地に取り憑いた霊を祭祀・祭礼によって成仏させる事。神仏習合の慣習から、寺僧の中でも除霊や浄霊を行い生業としている者もある。
→浄霊
白鳥神社(しらとりじんじゃ)
宮崎県えびの市南部の白鳥山北中腹にあり、霧島六社権現の一つに数えられる古社(旧社名:県社)。日本武尊命を祀り、性空上人と開基を同じくする。応和年間(天暦年間(10世紀後葉)頃、霧島山を訪れていた性空上人が、白鳥山の頂上付近にある六観音御池(ろくかんのんみいけ)の畔の六観音堂で法華経を唱えていたところ、白髪の老人が現れて「我は日本武尊であり白鳥となってこの山に住んでいるが、我を祀る神社を建てよ」と語り、白鳥と化して飛び去ったことにちなみ、白鳥山中腹に聖観音を本地とする白鳥権現社として創建されたと伝わる。
北緯31度58分44.3秒 東経130度49分38.4秒に位置する(出典:wikipedia)

二の鳥居 三の鳥居 拝殿
拝殿 門守神・櫛石窓神 門守神・豊石窓神
性空上人の御堂 性空上人の御堂 性空上人の坐像

白拍子(しらびょうし)
平安時代末期から室町時代にかけて行なわれた宴席用の歌舞のひとつで、また、それを舞う女性を指す。多くは遊女であったが、僧侶や児童が寺院などで演舞する事もあった。今様などを詠い、水干(すいかん)・立烏帽子(たてえぼし)・佩刀(はいとう)といういでたち(男装)で舞う男舞である。後に猿楽や能にも取り入れられた。
自利(じり)
自らが悟りを得るために仏道を学ぶこと。仏道の修業によって自分のみに功徳や果報をもたらすこと。
→利他
持蓮観音(じれんかんのん)
蓮の花を持った優美な女性らしい姿で表される三十三観音の一人。姿は心を表し、心は姿を求める事を象徴し、穢れのない信仰心を持つ。衆生に浄菩提心を説くとされる。
→三十三観音
神祗官設置令(しんぎかんせっちれい)
明治政府により施行された神仏分離政策により、寺院と神社を分離して、神社には神官を置くようにさせた政令。
仏教の台頭で、教義を持たなかった神道は本地垂迹説によって仏教に取り込まれ、神仏混交となり、寺院と神社は一体となっていた。それを再び分離し、国家神道として成立させる狙いがあったとされる。太政官の七官の一として設置され、神祗・祭祀を司った。明治4年に神祇省として改称された。
または、律令制下での太政官八省と同格の中央最高官庁。朝廷の祭祀を司り、全国の官社を統括した。神官(かんづかさ)。
→廃仏毀釈・神仏分離
神祗不拝(しんぎふはい)
浄土真宗において、神道の道を崇拝しないよう親鸞が説いた。しかし、親鸞の真意は神道を排斥するという性質のものではなく、行者も道俗も皆日々の雑事に心を惑わされ、日の良し悪しを気にするあまり、占いや祈祷に頼っている、という状況を嘆いたものと解釈されている。
→摂取不捨
真言(しんごん)
密教における、仏教の真理を表す言葉。サンスクリット語でマントラ(mantra)と言い、仏や菩薩の教え・功徳を秘めているとされる神秘的な呪文。「音」を重視し、翻訳ではなく音写を用いて表す。また、真言宗の略称としても用いられる。
→陀羅尼・呪文・密呪
真人(しんじん)
真実の道を体得し、生死や輪廻を解脱した人。道教において理想像とされる。仙人の別称。
身心脱落(しんじんだつらく)
心身の束縛から解放され、大悟の境地に至り、真の無我を極めた状態。道元により主張された。心身が透明な融合体(仏)となる境地。
→脱落心身
神饌(しんせん)
神祇(じんぎ)に供物として供えられる食物の総称。米、お酒、水、塩、野菜、果物、魚などを主とする。
神通(じんづう)
何事も自在に成せる、人智を超えた不思議で計り知れない能力。
→神通力
信徒(しんと)
信徒とは、何かの信仰を持ち、その宗教を信じ、また教団や寺院などに属している人を指す言葉。信徒は、実際にその宗教、宗派に属するために儀式を受けたりする必要のある場合と、宗教組織の名簿に名前が載っているだけというような場合もあります。般若寺に於いては組織の名簿に名前が載っている方々を指します。
神仏分離令(しんぶつぶんりれい)
明治元年(慶応4年・1868年)3月、明治政府によって発布された。祭政一致の方針に基づいて、神道と仏教の融和(神仏混交)を廃止した。これにより、全国で廃仏毀釈運動が起こり、数多くの寺院・仏閣が破壊された。
→神仏判然令
神仏習合(しんぶつしゅうごう・しんぶつしゅうこう)
神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。
水月観音(すいげつかんのん)
水上の蓮華に座し、静かに水面の月を眺める観音菩薩で三十三観音の一人。水面の月は夜空に輝く月の反映であり、本来の仏性へと導かれることを表している。
→三十三観音
崇仏派(すうぶつは)
日本古来の民族信仰である神道よりも、仏教のほうが優れているという考え方を持つ一派。渡来人と連携し、仏教の布教に積極的だった蘇我氏と、原始神道の催事に関わっていたため、仏教の受容に否定的であった物部氏との間に崇仏論争が興った。
→崇仏論争
厨子(ずし)
仏像・舎利・経典などを納める観音開きの箱。
→仏龕(ぶつがん)
篠懸衣(すずかけごろも)
修験者が白衣の上に着る麻の衣。修験道独自の法衣。鈴懸(すずかけ)とも書く。
ストゥーパ
本来は釈迦の聖遺物(仏舎利)を収めた墳墓、仏塔。アショカ王の時代からは各地に建立されたため、記念碑的意味合いも持つようになった。卒塔婆・塔婆とも呼ぶ。
制多迦童子(せいたかどうじ; 梵語: Ceṭaka)
不動明王の従者・八大童子の8番目。不動三尊の一人であり、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と共に不動明王の脇侍を務める。不動明王の右側(向かって左)に配置される。
世自在王仏(せじざいおうぶつ)
法蔵菩薩(阿弥陀如来の修行中の名)の師とされる如来。世饒王仏(せにょうおうぶつ)とも呼ばれる。
→ローケーシヴァラ・ラージャ
説一切有部(せついっさいうぶ)
釈迦入滅後300年ごろ、小乗仏教の根本上座部から分派した小乗部派。略称は有部。自我は非実在(空)であるが、諸々の構成要素は実在すると考えた。「空」の理に到達しない中途半端な学説として大乗仏教学派から批判されたが、大乗仏教の中でも中観派に次いで登場した瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは・唯識派)からは、その分析が支持され積極的に取り入れられた。
→三世実有説
石敢當(せっかんとう、いしがんとう)
「石敢當」などの文字が刻印された石碑・石版の事で、中国から伝来した魔除けの風習。日本では鹿児島県と沖縄県に多く分布し、その他の地方にもあるにはあるが、確認されているのはごく少数である。鹿児島では「せっかんとう」、沖縄では「いしがんとう」「いしがんどう」と呼ばれている。
施薬観音(せやくかんのん)
三十三観音の一人で、病に伏せる人に薬を施す。衆生の艱難辛苦(かんなんしんく)に際し、薬を授けるかのごとく救済の手を差し伸べるとされる。
→三十三観音
世話人(せわにん)
団体や会合などで運営や事務に携わり、中心になってその処理をする人。世話役。
般若寺では信徒様や寺門の方々のまとめ役として役務に携わっている。代表世話人、次期代表世話人、教師世話人、各担当世話人などがある。世話人はそれぞれ10名~100名(多い場合は数百名)の信徒・門徒の各供養他の世話相談にあたる。正式に得度した者もしくは相当と認められる者が名乗れる。
泉下(せんか)
黄泉の下。死後の世界。あの世。「泉下の客となる」~他界する事(=鬼籍に入る)
→遷化(せんげ)・往生・入寂・寂滅
千手観音(せんじゅかんのん)
千の手を持ち、それぞれに目がある(千手千眼・せんじゅせんげん)とされる。正式名称は「千手千眼観自在菩薩」(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)。千の手は、この世の全ての衆生を救う観音の慈悲の心と力の広大さを表す。聖観音(しょうかんのん)の變化した姿とも言われ、眷属として二十八部衆を従える。観音の王を意味する「蓮華王」の呼称もある。
→蓮華王(れんげおう)
禅書・禅画(ぜんしょ・ぜんが)
禅の世界の真理や悟りの一瞬(禅機)を描いた書画。禅を修行し、悟りを体得した人の書画には奥深い禅の真髄が描かれているとされ、そのような作品を指して呼ぶ。
禅定(ぜんじょう)
坐して精神を一点に集中させ(瞑想)、寂静の境地に至る事。あらゆる煩悩から離れ、心が惑わされず、真理を悟る事。またはその修業。三学の一つ。
僧籍(そうせき)
僧侶・尼僧として認められた身分・籍。得度・受戒を経て登録された籍。僧籍簿。
→得度
相対観(そうたいかん)
二元観。物事を善と悪などの対立軸に分けて論じる考え方。または、物事を一つの観点からではなく、諸々の視点や価値観を認め、共存共立を容認する考え方。
→一元観・絶対主義・普遍主義
僧兵(そうへい)
平安後期以降、寺院社会の公認の下、仏教保護の名目で武装して戦闘に従事した僧侶集団。寺院の私兵、悪僧。
興福寺・延暦寺・円城寺の僧兵が有名。
→法師武者
添え木
花や樹が倒れないように支柱として木を添えること、またはその木。副え木とも言う。または、骨折などの治療で患部を固定するために当てられる板の呼称(副木)。他に建材を補強する目的で組手などに当てられる板を指すこともある。
即身成仏(そくしんじょうぶつ)
真言密教の根本的な教義で、人間が現世の肉体のまま仏になる事。生きながら仏になる事。「即身仏」は、同じように衆生を救済するため徳を積み修行するが、断食・絶命して祀られるため、生きて仏となる「即身成仏」とは異なる。
→即身菩提
祖師(そし)
仏教における一宗一派の開祖。親鸞・日蓮・達磨など。または、禅宗で法を伝えた歴代高僧の尊称。
→開祖