仏教トリビア

仏教の世界にも様々な雑学が存在します。
ここではそんなトリヴィアの幾つかをご紹介します。

菩提樹はイチジク?
仏教の開祖・釈迦がその樹下で悟りを開いたと伝わる菩提樹ですが、実は無花果(イチジク)の仲間でインドボダイジュと呼ばれる種類です。
インドボダイジュ(印度菩提樹・学名:Ficus religiosa)は、クワ科イチジク属の一種で別名を天竺菩提樹とも言います。
一般にシナノキ科のボダイジュと混同されやすいですが、このイチジク科の印度菩提樹こそが正真正銘の「菩提樹」なのです。
無憂樹・沙羅双樹と並び仏教三大聖樹(仏教三霊樹)のひとつとされています。
印度菩提樹は絞め殺しの樹?
インドボダイジュ(印度菩提樹・学名:Ficus religiosa)は、クワ科イチジク属の常緑高木で高さが20メートルを超えるものもあります。
他の無花果属同様、着生植物として宿主となる木に発芽し、表面を覆うように成長します。
宿主に絡みつき、絞め殺すように成長するため、「絞め殺しの樹」という俗称で呼ばれる事があり、実際に枯死させてしまう事もあります。
これは熱帯雨林の過酷な環境に適応し、種を存続させるために獲得した特性であると言われます。
「絞め殺しの樹」と呼ばれる仲間には、日本の奄美大島や沖縄地方に群生する「ガジュマル」「アコウ」なども含まれています。
仏像を作れと言ったのはお釈迦様ではない?
現在、仏教には様々な仏像や経典が存在しています。
全国どこのお寺を巡っても大小の差はあれど仏像の無いところは殆どない、と言っても過言ではないでしょう。
如来、菩薩、明王、天部など数多くの仏像が生み出され、それぞれが各宗派の象徴として信仰されています。
また、これらの仏像や経典は仏教文化の伝来と定着に大きく貢献したと考えられています。
しかし、釈迦自身は仏像はおろか、自筆の経典すら残していないのです。
釈迦自身の教えは、衆生に対し法を直に説く「口伝」のみによるものであったからです。
釈迦の入滅後、彼の弟子たちがその素晴らしい教えを広めるために文字に起こし編集して形となったものが現在の経典と呼ばれるものです。
また、今日では仏教文化と切り離して考える事の出来ない仏像ですが、本来釈迦の姿を彫像や絵画によって表現するのはタブー視されていました。
釈迦が身を以て衆生に伝えようとした法(ダルマ)が、偶像を崇拝する事によって仏教本来の教えから大きく逸脱しかねないという危惧によるものだったと思われます。
釈迦入滅後、彼の存在が人間を超越したもの(仏・仏陀)として崇拝されるようになると、仏教では在世時の釈迦と信仰の対象としての釈迦が区別されるようになり、仏の姿をめぐって様々な議論が交わされるようになりました。
大乗仏教では特にそのような考察が盛んに行われ、やがて三身説(三身論)に行き着く事となります。

三身説・・・仏には法身・報身・応身という三種の身体があるとする説

三身説により、仏像を永遠で不変なる具現化された形=報身とみなすことで、仏像が単なる偶像ではなく、仏の身体・仏の本性を現す「尊像」であるとの意味付けが成されたのです。
その結果として、仏像の制作は釈迦入滅後、実に数百年を経て紀元一世紀頃、インド北部で始まったとされています。

※玄奘が書き留めた伝承「大唐西域記」によると、覚りを得た釈迦は母親の摩耶夫人に法を説くため天に昇り、三ヶ月もの間天宮に逗まったと言われます。それを憂いた優填王が師の姿を像に刻む事を仏弟子・目蓮に依頼しました。目蓮は工人を引き連れて天宮におもむき、師の姿を栴檀に彫り込んだと書かれています。また、初期仏典のひとつである「増一阿含経」にも同じ伝承が描かれていますが、これらの伝承そのものは釈迦入滅後に付加された創作であり、史実としてとらえる事は難しいと思われます。