お盆のいわれ

お盆は梵語のウルランバーナが、ウランボン(盂蘭盆・うらぼん)となり、またお盆となったもので、「さかさまにかけられている苦しみをも救う」という意味であります。
 お釈迦様のお弟子目連尊者の亡くなったお母さんが、思いもかけず餓鬼道に堕ちて、供養のご飯が火になって食べられず苦しんでおられましたので、目連尊者は大層驚き、母の救いをお釈迦様にお縋りしました。お釈迦様は「人は誰でも知らずの内に多くの罪を作っているものです。お前の母もそうだったのでしょう。このままでは成仏出来ないから、七月十五日になったら多くの坊さん達や仏の道を求めている人達に百味の飲食を手厚く供養して、その御力の助けによって、母を救ったら良いでしょう」と教えてくださいました。そこで、その通りにしますと、お釈迦様の教えの通りお母さんの苦しみはなくなり、成仏する事が出来ました。
 母を餓鬼道の苦しみから救った目連尊者は非情に感激してお釈迦様に「今後、多くの人々も私と同じように七月十五日に、このような供養を営めば冥土の苦しみを救う事が出来ましょうか」と尋ねました。
お釈迦様は「慈悲心、孝順心から供養すれば、この世においては寿命長久、子孫繁栄し、亡き人々は一切の苦しみを免れて、来世は幸せな生を受けるであろう」とお示しになったという事です。これが仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)を元とするお盆の謂れであります。
 祖先の冥土の苦しみを救うためのお盆は祖先に対する報恩感謝の誠を捧げる、まことにゆかしい行事であります。
 お盆が近づいて来ますと亡き人の事が懐かしく思い出されます。新盆を迎えられる方には、特に鮮やかに亡き人を身近に感じて、懐かしさ、悲しさで心を濡らします。お盆には亡き方は永遠に帰らぬ人、あの世にいます人ではなく、「迎える事の出来る人」「話し合える温かい人」でもあります。お盆は、我々日本民族の魂が、遠い昔から育ててきた「宗教的心の季節」であると言えましょう。盂蘭盆会(うらぼんえ)は、亡くなられた方々のお苦しみを除いてあげる供養のお祀りです。

迎え火・送り火

旧七月十三日の黄昏に、苧殻(おがら)を門に焚いて、亡き霊を迎えるのを迎え火と言い、十六日にまた苧殻を焚くのを送り火と言います。魂迎え(たまむかえ)、魂送り(たまおくり)の意味です。

精霊送り(精霊流し・燈籠流し)

盆送りとも言われ、お盆の最終日に祖先や新仏の霊に供えたものを川に流して送る事です。また、小さな燈籠に火を灯して川や海に流す事を燈籠流しと言います。