【や行】→野狐禅(やこぜん)~依代(よりしろ)
- 野狐禅(やこぜん)
- 禅の行者が悟りを得ていないにもかかわらず、悟ったように自惚れ振る舞うことで、そのような行者を野狐に例えたもの。生半可な知識で自惚れること。生禅(なまぜん)。
- 山高月上遅(やまたこうしてつきのぼうことおそし)
- 大器晩成を表す言葉。本当に偉大な人、器の大きな人は大成するまで時間がかかるという事を意味します。高い山に遮られた月がなかなか姿を現さないように、何かを成し遂げるにはそれに見合った労力や時間が必要になるという事。今すぐ結果が出せなくても諦めずコツコツとしっかりやって行くことで必ず報われる時が来るという事です。継続は力なり。
- 山伏(やまぶし)
- 山野に住み修行する僧、修験者。山岳で修行する事によって超自然的な力を体得したといわれる。
- 唯識学派(ゆいしきがくは)
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現象世界のあらゆるものは変転している識にすぎないと考え、「唯心論」を唱える。大乗仏教二大系統の一。変転する識を瑜伽行(ヨガの実践)によって体得しようとする学派。
→唯識派・瑜伽派 - 唯心論(ゆいしんろん)
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宇宙の本質は精神の働きを原理とし、あらゆる物質は精神が変転したものにすぎないとする形而上学的な世界観を持つ立場。
プラトン・ライプニッツ・フィヒテ・ヘーゲルらに代表され、「唯物論」に対する。 - 唯物論(ゆいぶつろん)
- 哲学で、世界の根本原理は実在する物質であるとし、精神や意識は物質の作用(たとえば脳の働き)によって認識されているに過ぎないとする認識論的立場。「唯心論」に対する。フォイエルバッハの唯物論、マルクス、エンゲルスなどの弁証法的唯物論に代表される。
- 維摩経(ゆいまきょう)
- 大乗経典の一つで、教理・実践を説き、在家信者の徳目を明らかにしたもの。富豪で在家信者の維摩居士(ゆいまこじ)が病の床についた時、見舞いに訪れた三十二菩薩が問答を挑んだが、全て維摩にやり込められた。最後に文殊菩薩と問答し、究極の「空の理」(くうのことわり)は言葉で説く事が出来ないとして、「沈黙」で示したとされる。これを「維摩の一黙」と言う。サンスクリット語の原点は散逸し、チベット語と3種類の漢訳のみが現存している。
- 遊行(ゆぎょう)
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修行者が布教・説法のため諸国を巡り歩く事。釈迦も実践した。
→行脚 - 遊戯感音(ゆげかんのん)
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ゆったりと雲の上に座り、法界を自由自在に遊戯する観音菩薩で三十三観音の一人。篤い信仰心を持ち、純粋な心で念ずる者を厄難から救うとされる。
→三十三観音 - ユタ
- 沖縄県と鹿児島県奄美群島で、霊的事象の解決を生業とする民間霊媒師。優れた霊能力を持つとされる。シャーマン。
- 葉衣観音(ようえかんのん)
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三十三観音の一人。「葉衣」とはバラーシャ樹の葉をまとうシャバラ族の女性という意味。その名を誦すると、自身・伴侶・一家を災厄から護ると云われる。
→三十三観音 - 陽明文庫(ようめいぶんこ)
- 平安時代から明治時代にかけての千年近くにわたり伝承された近衛家の家伝文書及び典籍類で、1938年近衛文麿が財団法人としてまとめた文庫。京都市右京区に所在し、貴重な美術工芸品等も収蔵するため、研究者に限定付きで公開される特殊文庫である。
- 陽明門(ようめいもん)
- 平安京大内裏外郭十二門の一。五間三戸で待賢門の北方にあった。別称は近衛門。「陽明」は「近衛家」の別名であり、近衛家の屋敷が大内裏の十二門の一つである陽明門から発する近衛大路沿いにあったことにちなんで名付けられた。
- 瓔珞(ようらく)
- 珠玉や貴金属に紐を通して繋いだ装飾品で、インドでは貴人が頭・首・胸を飾るため用いた。仏教においては仏像を荘厳する宝飾具のことで、仏像の宝冠、首飾り、天蓋の装飾などに多く用いられる。
- 楊柳観音(ようりゅうかんのん)
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右手に柳の枝を持つ観音菩薩で三十三観音の一人。古来より柳の枝は悪い病を祓い清める力を持つとされている。薬王観音(やくおうかんのん)とも呼ばれる。
→三十三観音 - 依代(よりしろ)
- 神霊が憑依した樹木・岩・人形・動物などを祀る事。憑代(よりしろ)とも表記する。