た行

【た行】→大師(たいし、だいし)~鳥居(とりい)

大師(たいし、だいし)
天皇から下賜された仏・菩薩の尊称。「偉大なる師」という意味で、特に弘法大師の事を指す場合が多い。また、高徳の僧への敬称としても用いられる。
大乗院(だいじょういん)
守護大名である島津氏が、本拠地であった清水城を移設した跡地に建立された島津家縁の寺。かつては鹿児島市稲荷町に存在していた真言宗の寺ですが、明治2年、廃仏毀釈によって最初に破壊された寺となっています。
日向山 九品院 般若寺は大乗院の末社にして、千手観音を本尊とする真言密教系の社寺であり、大乗院の末社となる以前には、奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の一つとして建立されたのではないかと考えられています。薩摩藩の当主である島津氏の主筋は藤原氏縁の家系であり、興福寺が藤原氏の氏寺であった事からも、般若寺が興福寺の末社の一つとして建立された可能性は十分考えられます。また、法相宗の大本山である興福寺と般若寺の教義には共通する部分も多く、関連性を示す材料の一つとなっています。
大乗八宗(だいじょうはっしゅう)
全ての大乗仏教宗派の事。平安時代までに日本に伝来した仏教の八つの宗旨。華厳宗・律宗・法相宗・三論宗・成実宗・倶舎宗の南都六宗に天台宗と真言宗を加えた八宗。中国八宗の場合は、法相宗・華厳宗・律宗・天台宗・禅宗・密宗・法華宗・三論宗。
→八宗・大乗仏教八宗
胎蔵(界)曼荼羅(たいぞうまんだら)
「大日経」に基いて描かれる曼荼羅で、金剛界曼荼羅より成立が古いと言われている。「理」を司り、真理の世界を表す。胎蔵とは子宮を意味し、胎児が母の胎内で守られながら成長するように、仏陀(大日如来)の悟りの境界が慈悲によって育まれ、世界に行き渡る様を表す。
→金剛界曼荼羅
大壇(だいだん)
仏教(主に密教)で用いる法具。密教立(みっきょうだて)の法要で、導師が修法に用いる正方形の大型壇。
大般涅槃経(だいはつねはんきょう)
小乗経典。仏性論が説かれている。一切の衆生には全て仏性がそなわり、その仏性を持つ者は成仏出来るという説。涅槃経。
大曼荼羅(だいまんだら)
四種曼荼羅の一つ。「地・水・火・風・空・識」六大の曼荼羅であり、仏や菩薩など諸尊の姿で描かれる。密教における「六大」とは宇宙の根源であり、仏も衆生も六大より成り、本質的に平等であり、一切の現象は仏の営みそのものであると説く。万物の構成要素であり、万有の本体であり、大日如来の象徴である。
→六界
滝見観音(たきみかんのん)
三十三観音の一人で、断崖に座し、滝を眺める姿で表される。怒りや憎悪の炎を滝の飛沫のような仏の智慧で鎮め、浄める事により衆生を救済すると言われている。
→三十三観音
多羅尊観音(たらそんかんのん)
三十三観音の一人。慈母神とされ、深い慈悲の眼で衆生をあらゆる煩悩や苦難から救済し、安産の守護神としても崇められている。チベットの女神「ターラ菩薩」と同体とされる。
→三十三観音
ダライ・ラマ
チベット仏教ゲルク派の高位のラマ(僧侶・聖人)であり、チベット仏教最上位の化身ラマ(転生ラマ)の名跡である。17世紀よりチベット政府の長として元首の地位を保有している。
1950年に始まった中華人民共和国・人民解放軍によるチベット侵攻により、ダライ・ラマ14世(法名=テンジン・ギャツォ)は、1959年にインドへ亡命、現在はチベット中央行政府(チベット亡命政府)において国家元首を務めている。その平和的姿勢と様々な文化への貢献が高く評価され、1989年にはノーベル平和賞を受賞している。
陀羅尼(だらに)
サンスクリット語(dhāraṇī)の音写で、意訳せず梵語のまま唱える呪文。「総持・能持・能遮」と訳す。総持・能持は、一切の説法を記憶して忘れないという意味で、能遮は一切の雑念を払い無念無想になるという意味を持つ。これを唱えることにより、様々な功徳を受ける事が出来ると言われている。比較的短い呪文を真言、長いものを陀羅尼と呼ぶ。
多羅葉(たらよう)
モチノキ科モチノキ属の常緑高木。静岡以西、中国、四国、九州地方に分布する。葉の裏面に文字を書く事ができるため、その昔日本では経文を書いたり、占いに使用したりという用途に用いられ、寺社に植樹される事が多かった。「多羅葉」という名前は、インドで経文を書くのに使用された「タラジュ」の木に似ている事に由来している。また、郵便局のシンボルでもある。
知足(たるをしる)
分をわきまえて分相応にふるまうこと。必要以上の物を求めず、現状に満足することを知る。人の心に欲望はつきものですが、欲望の器が大きいほど満たされることは少なくなっていくものです。欲望を完全に切り離すことはできませんが、強く求める衝動を抑えることは出来ます。欲望の器が小さければ満足に至るボーダーラインも下がることになり、慎ましい生活でも充足感が得られるようになるでしょう。心が満たされていれば渇望する心も生まれず、貧しくても広く清い心で過ごせるのです。
檀家(だんか)
檀家とは、特定の寺に所属して寺を支援する家のことを指します。「ダーナパティ」というサンスクリット語から来た言葉で「寺や僧を援助する庇護者」という意味があります。
檀家が、葬祭供養一切をその寺院に任せる代わりに、布施として経済支援を行うことが檀家制度です。
チベット仏教
チベットを中心に発展した密教の要素が強い総合仏教。7世紀にインドから伝来した大乗仏教が、土着の民間信仰と結びついて展開したもので、後期インド仏教の教理と密教を継承している。師弟関係を重んじ、ラマ(師匠)を崇敬する事からラマ教とも呼ばれるが、この呼称は誤解を生むとして現在では殆ど使用されていない。ゲルク派、カギュ派、サキャ派、ニンマ派の4つの宗派がある。
中観派(ちゅうがんは)
インド大乗仏教二大学派の一つで、龍樹(ナーガルジュナ)を開祖とする。龍樹の著書「中論」に基づき、空を教義の中心とする。
中論(ちゅうろん)
2〜3世紀頃、ナーガルジュナ(龍樹)によって著された仏教書で、青目(しょうもく)が注釈したもの。「説一切有部」に対し、一切の実在を否定し、あらゆるものが「空」であると説き、徹底した中道を宣揚した。「十二門論」「百論」と並び三論の一つとされる。
→中観論、正観論
手水舎(ちょうずや・てみずや)
神社や仏閣において、参詣者が拝礼の前に手や顔を洗い口をすすぐための清めの場所・施設。手水場(ちょうずば)とも呼ばれる。
正しい清めの順序は、まず右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、左手に水を注ぎ清める。次に柄杓を左手に持ち替え、右手に水を注ぎ清める。さらに再度柄杓を右手に持ち替えて、すぼめた左手に水を溜め口をすすぎ清める。この時、間違っても柄杓に直接口をつけてはいけない。最後に柄杓をまっすぐに立て、残った水で柄杓の持ち手を清め、伏せて元の場所に戻す。
辻説法(つじぜっぽう)
路傍に立ち、道行く衆生に説法する事。往来の人々に仏の教えを説くこと。またはその布教活動。
筒羽野曼荼羅柴燈護摩供養(つつはのまんだらさいとうごまくよう)
筒羽野曼荼羅柴燈護摩供養(つつはのまんだらさいとうごまくよう)とは「曼荼羅由来」の護摩供養です。
 曼荼羅を拝見しますと、仏教では数多くの仏様がおられますが、これらの仏様のお姿は私達に何をお示しになっているのでしょうか。また、仏様が描かれている曼荼羅とは一体どういうものなのでしょうか。
 曼荼羅とはインドの言葉でありますが日本語になってマンダラ模様の言葉として使われています。種々の形や色の異なるものが寄り合って一つの模様となっている事を表しますが、これを訳しますと、輪円具足という事であります。一見、マンダラではバラバラのように見えますが、よく考えてみますと、調和と秩序を保って動いているのであります。本尊大日如来様を中心として、一糸乱れぬ連携を保ち、内に外に、上に下にとお互いに供養し合う仏の世界、相互に礼拝し合う尊厳なる関係を示しているのであります。真言宗でいう『密厳仏国』、いわゆる仏の世界の構図を表すものが曼荼羅なのです。お互いが尊い命を生かし合い、尊重し合う世界がそこにあることを私達に教えてくれるのであります。
 真言宗は金剛界、胎蔵界、両曼荼羅をお祀りし、この中の一尊を各寺の本尊様としてお祀りするのでありますが、金剛界曼荼羅には千四百六十一尊、胎蔵界曼荼羅には四百十四尊の仏様がいらっしゃいます。金剛界は九つの区画を持っていますので九会曼荼羅、一方、胎蔵界は十二のグループに分かれて構成されていますので胎蔵十二院とも言うのでありますが、すべてこの世を救おうとされる仏様達であります。大日如来様の智慧、慈悲の御心は、観音菩薩や地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天、大黒様など私達の身近にいらっしゃる仏様となって配置されているのであります。
 仏様は私達が知ると知らざるとに関わらず、仏様達の方が先に私達に向かって、お導きと加護をしてくださっているのであり、これが仏様の供養であり、私達の幸せを念じて礼拝してくださっている事を知らねばなりません。
曼荼羅は調和と秩序、供養と礼拝、智慧と慈悲の命を示し、この世に仏の世界を作ることを教えてくれているのであります。
荻外荘(てきがいそう)
東京都杉並区荻窪2丁目43番36号に所在する近衞家の別邸。南を善福寺川が流れ、北側に向かってなだらかな丘陵になっているため、夏は涼しく、冬は暖かいという地形的な恩恵に恵まれ、遠くは富士山も展望できるという眺望絶佳の場所であった。約6000坪超の敷地内には樹齢数百年と思しき木々も多く、丘下には大きな池があった。近衞文麿はこの別邸がいたくお気に入りで、住み始めて以降二度と本邸に戻ることはなかった。元々この別邸は、大正天皇の侍医頭であった入澤達吉が所有していたものであったが、これに惚れ込んだ近衞が入澤を口説き譲り受けたものである。別邸とはいえ、事実上の本邸であり、昭和史を左右したとされる会議と国家の意思決定は総理官邸よりもこの荻外荘にて行われる事が多かったと言われる。近衞は荻外荘において「東亜新秩序」を提唱し、山本五十六らと日米戦争について対応を協議した。近衞文麿の半生はまさに荻外荘と共にあったと言っても過言ではないだろう。
近衞文麿の死後、一時この荻外荘を借り受けていたのが吉田茂である。東京大空襲の際も荻外荘は戦火を免れ、戦後も地元の人々から親しまれていた。2012年、邸の所有者であった近衞の次男(近衞通隆翁)が亡くなり、それを機に町内会から区に保存の要望が出され、遺族と協議した結果、杉並区が買い取ることとなった。

荻外荘:近衛文麿元首相の旧邸、杉並区が31億円で取得 公園に活用へ /東京

昭和12年に近衞文麿が入澤達吉博士より買い求め、元老西園寺公望により荻外荘と名付けられました。荻外荘は南斜面の高台にあって、善福寺川河谷を一望に収め、はるかに富士の霊峰を眺める景勝地にあり、大正天皇の侍医であった入澤博士が大正初年に地主 中田村右衛門氏より、松林一町歩を反あたり700円で買い求めて建てた別荘でした。同年6月に、近衞公が第一次近衞内閣を組織して総理大臣になられてから、荻窪の荻外荘の名が毎日のように新聞紙上に現れ、荻窪の地名が一躍世に知られました。それとともに荻窪が高級住宅地であるというイメージが拡がりました。

『杉並風土記』杉並郷土史会昭和52年発行 森泰樹著

撤饌(てっせん)
神饌(神前の供物)を下げること。撤饌後、その供物を神職や信徒が食することを直会(なおらい)と言う。
寺請制度(てらうけせいど)
江戸幕府成立後、導入された寺院優遇制度。宗門改めにより禁制とされたキリシタンや日蓮宗など不受不施派の信徒でない事を檀那寺に証明させた制度。庶民は必ずいずれかの寺院の檀家となり、「宗門人別帳」に登録する事が義務付けられた。
→檀家制度
天蓋(てんがい)
仏具の一つで、仏像などの頭上にかざす笠上の荘厳具。蓋(きぬがさ)、懸蓋(けんがい)、華蓋(けがい)とも呼ばれる。
虚無僧が被る編笠や、王侯貴族の寝台や玉座を天井から覆う織物を指す事もある。
転生(てんしょう・てんせい)
次の世に生まれ変わる事。または生活や環境を一変させる事。
→輪廻転生
天台密教(てんだいみっきょう)
真言宗と並び日本に伝わった二大密教の一つ。伝教大師(最澄)を開祖とする。真言密教を「東密」、天台密教を「台密」と呼ぶ。
天地開闢(てんちかいびゃく)
古代中国の思想に基づく、天地の開け初め、世界の始まり。「日本書紀」でも混沌とした一つの陰陽が分離して天地が形成されたと語られる。
天部(てんぶ)
「天」または「諸天部」とも呼ばれる。本来はインド古代神話における天界の神々であり、仏教に採り入れられて護法善神となったもの。如来・菩薩・明王に次いで最下位に置かれる仏像の総称。
梵天、帝釈天、毘沙門天(多聞天)、持国天、広目天、増長天、弁財天、吉祥天、十二神将などその形態や性格は多岐に渡る。
→四天王、八部衆、十二神将、二十八部衆
伝法灌頂(でんぽうかんじょう)
密教の修行を終えた行者に、指導者である「阿闍梨」(あじゃり)の位を許可する儀式。仏祖の知水を頭頂に灌ぐ事から灌頂と呼ばれる。この灌頂によって密教の奥義が伝授され、弟子を持つことが許される。
→伝教灌頂、阿闍梨灌頂、受職灌頂
天祐神助(てんゆうしんじょ)
天の助けと神の助け。ご加護。また、偶然に恵まれて助かること。
道教(どうきょう)
古代中国の民間信仰を基盤とした信仰。老荘思想に、陰陽五行説や神仙思想などが加わり、不老長寿・現世利益を目的とした符呪・祈祷を行う信仰形態となっている。
当山派(とうざんは)
聖宝(しょうぼう)を派祖とする真言密教系の修験教団。金峰山(きんぷせん)、大峰山をはじめとして、熊野三山、葛城山を修行の根本道場とした。
塔婆(とうば)
卒塔婆(そとうば・そとば)の略称。仏塔(お墓)のこと。または、追善供養のために墓の脇に立てかける経文や戒名が書かれた長い板のこと。
→経木塔婆(きょうぎとうば)、水塔婆
徳王観音(とくおうかんのん)
三十三観音の一人。岩に座し、柳の枝を持つ。「常・楽・我・浄」という浄土世界の4つの徳を供え、帝釈天と共に仏法を守護し、釈迦に悟りの教えを布教するよう勧められたとされる。
→三十三観音
得度(とくど)
在俗者が出家して仏門に入る事。迷いの俗世から悟りを得て涅槃の彼岸に渡る事を意味している。官によって許可された者を官度僧、そうではない得度者を私度僧と呼んだ。真言宗(開祖=空海(弘法大師))は宗派によって様々な私度僧の方法がある。

得度された方々

土砂加持法要(どしゃかじほうよう)
『不空羂索毘慮遮那大潅頂光明真言経』(ふくうけんじゃく びるしゃな だいかんじょう こうみょうしんごんきょう)を所依として、光明真言加持土砂の功力に依って滅罪・得楽・成菩提を得る法会である。癒病や亡者・塔婆に散布して滅罪生善が中心になる。
 栂尾明恵上人(とがのお みょうえ)の頃から大変盛んになったと言われる。『恵心僧都全集』『明恵上人光明真言土砂加持義一巻』『土砂勧進記一巻』『光明真言句義釈一巻』等により三界二十五有の得脱にちなんで、二十五口の僧侶を請じ、六道の抜苦のために修すると言う。京では、一座を本義として、六座を修することはない。
度牒(どちょう)
律令制下において、得度の証として政府が発行した公文書。明治以降は各宗派の管長に一任された。
→度縁(どえん)、公験(くげん)、告牒(こくちょう)
兜巾(ときん)
山伏などの修験者が頭につける尖頭円型の被り物。布製・木製・樹脂製のものがあり、起源は防護・防寒用の頭巾からと言われている。頭襟とも書く。
鳥居(とりい)
神社の内と外を分ける境界に建ち、ご神域への入り口として「門」の役割を果たしている。俗世と神域を隔てるボーダーライン。神社の神聖さを象徴する建造物で、その起源については諸説あり現在でも明らかになっていないが、社殿よりも古く、鎮守の杜の入り口に鳥居だけが立てられた神社もある。また、稲荷神社などに見られるように複数の鳥居が参道に沿って建ち並ぶものもある。